天智天皇と腹赤③ 星空の世界に天馬が翔る

星空の世界に天馬が翔ると信じられていたという話を紹介する。

『儺の國の星拾遺』の記述

まずは本文より引用。

 倭人は星空の世界に麒麟なる天馬がいて、事あれば流星のごとく天翔(あまかけ)ると信じていた。おそらくこの信念は大陸では、春秋(前七二二~四八一)の頃まで生きていたものの、日本では室町(一三九二~一五七三)の世にまだ守られていたと考えられる。
日本書紀巻第十四雄略記九(四六五)年秋七月壬辰朔の條に、
赤駿(あかうま)()れる(ひと)に逢う。其の馬時に(もろよか)にし
て龍のごとくに()ぶ。(ちょ)をして(この)びて埃塵(あいじん)
(かたちう)せぬ。
ここに(ちょ(*))(かやつり)、すなわちPegasus(ペガサス)の四星の空間を言ひ、埃塵(あいじん)天漢(あまのかは)即ちGalakseeas(ガラクシース(ママ**))を言ふ。
(『儺の國の星拾遺』真鍋大覚/那珂川町 一五六ページ。タグの関係で改行位置を変更)

私注
*(ちょ)→誤植“(ちょ)“もしくは“(この)び”
**Galakseeas(ガラクシース)→誤植?Galaxies


麒麟というと、想像上の動物だ。


By 不明 – Original: Sancai Tuhui (1609).
Reproduced in: Church, Sally K. (2004). “The Giraffe of Bengal: A Medieval Encounter in Ming China". The Medieval History Journal 7 (1): 1–37., パブリック・ドメイン, Link

この麒麟が星空の世界にいて、何かあった時には流れ星のように翔ると信じられていたそうだ。

引用された雄略記の内容は、龍のように()赤駿(あかうま)()った人に出会ったエピソード。
一般的には、古墳におかれた馬の埴輪が夢の中で実体化した話として理解されている。
が、この本では、夜空を翔る麒麟と連動した発想があるようだ。
一体それは何か。

2、麒麟と雄略記のエピソードから見えてくるもの

〝麒麟〟と〝雄略記〟のエピソードに共通していることは何か?
自分なりに考えてみた。

箇条書きにすると、

  1. 晴れた夜空で星が見えている
  2. 超常的な駆け方をする馬
  3. 色彩としての赤駿(あかうま)の語が出ており、麒麟に赤い(炎 駒)がいることから。)

の三つ。

加えて雄略記の方は、赤駿(あかうま)が天の川に消えた(「(ちょ)をして(この)びて埃塵(あいじん)(かたちう)せぬ。」)と書かれている。
これを天球図で考えると、天の川付近にある馬の星座と言えばペガサス座があげられる。

ペガサス座というのは秋の夕暮れに東北東の空に現れる星座だ。
天体シミュレーションソフトで見てみる。(ペガサスが正立するように方向を整えている。)

秋のペガサス座と天の川
秋のペガサス座と天の川(MitakaPlusで作成)

雲のようなモヤが天の川。
ペガサスが天の川に向かって飛んでいるように見えないこともない。

色彩の赤とペガサス座の関係

ペガサスには翼があるので、夜空を飛ぶという条件は満たしている。
問題は色彩のと繋がるかどうか。
ペガサス座は恒星の組み合わせであるから基本は黒と白。
ペガサス座自体に赤の要素はない。

考えられるのは、赤くなった空にペガサス座が重なって見えている場合だ。

真夜中に空が赤くなると言えば、低緯度オーロラが考えられる。
ゆらゆらと赤いオーロラが出ている場所にペガサス座があれば、それはまさしく「腹赤駒(お腹が赤い馬)」の図。

何時の時代か、ペガサス座と赤いオーロラが重なって見えたことがあったのだろう。
それが〝極光赤気(低緯度オーロラ)を「腹赤駒(はらかのこま)」と表現した〟ことの由来ではないかと思った。
そう考えれば辻褄が合う。(実証は出来ないが。)

オーロラは北半球では北極周辺に見え、極光赤気が腹赤駒であるなら、腹赤駒は〝北〟のイメージを持つことにもなる。

補足

『儺の國の星拾遺』に書かれている話は、『日本書紀』雄略記の一般的な解釈とは違うので、少し補足する。

雄略記の一般的な解釈は、「夜に誉田陵の近くで赤駿に乗った人と逢い、あまりにも素晴らしいので交換してもらったけれど、朝になったら埴輪になっていた。」というストーリーだ。
小学館『新編日本古典文学全集』によれば、「赤駿」の良馬ぶりは『文選』赭白馬賦に同様の表現があり、そこからとって潤色したのだろうという。
それはそれで成立する話だ。

『儺の國の星拾遺』に書かれているものは、あくまでも伝承だが星の位置は合っている。
星の話としても読めることは確かだ。